暫くのブログ休止のお知らせ
こんにちは。
私にとって、8月10日は人生の分岐点となりました。
このブログでは母の日を除いてはあまり触れてませんでしたが、私の母について語りたいと思います。
私の母は、10年以上前に心臓の病気を患い、療養をしながら日々の生活を送っていました。
毎回毎回入院と退院を繰り返しながら、10年以上持ったのですが、3年前ほどから心臓以外の臓器も悪化し、入院と退院の繰り返しを日々送って生活してきました。
まだ動けるときは私に色々な生活のノウハウを教えてくれたりして、日々を送っていました。
私も積極的に母とご希望の海へ買い物へ行ったりもしました。
大洗にちょくちょくでかけていたのは母の希望でありました。
あまり歩いたりすることはできませんでしたが、魚を見ては買い物を手伝ったり、一緒に食事をしたりと、傍から見たら、多分マザコンと言われると思うほど、私は母と日々色々な思い出を作りました。
もともと私自身、ガキの頃から母親にベッタリってほどではなかったのですが、買い物に一緒にでかけたり、母親とは沢山の場所にでかけたりと沢山の思い出を作ってきました。
思い出がありすぎて、逆に忘れてしまっているかもしれません。
忘れてしまうほどの沢山の思い出と大量の愛情を受け取り、姉や父上に見守られながら…
本日令和2年8月10日6時10分に帰らぬ人となりました。
…
正直大声で泣きたかったです。
いや、泣いていました。
鏡見てみろ、目が真っ赤だぞお前。
子供のように大声で泣き叫びたかったです。
子供だったらそうしていたでしょう。
このもやもやした気持ちがとても息苦しいです。
誰もがとは言いませんが、多分ほとんどの人が経験するだろう分岐点なのに、今にも息苦しくて死にそうな気分です。
なぜ私はこんなにも悲しいのか?
そりゃ、「親の死だからです」って言えばそれまでなんですが…
10年前の危険な状態の入院も、まさしくこんな気分でした。
このまま死んでしまうかもしれないと。
その時は無事に手術は成功し、日常生活に多少支障はあるけど復帰しました。
そして私はできるだけそれを支えてきました。
もちろん、男で何もできない無能だったので、手伝うのも大変で、母親を困らせたことは無数にありました。
それでも頑張って病院へ通ったり、日常生活では積極的に手伝ったりと沢山母親と接する機会が多くなりました。
いや、多すぎたのですかね。
そのせいですかね。
こんなにも苦しいのは。
こんなにも悲しいのは。
でも、本人は沢山の思い出を持っていきました。
だからきっと満足しているでしょうか?
ただ、このコロナ禍のせいで個人的には悔いも残っています。
最後に好きな海につれていけたら良かったな…
入りたがっていた温泉に入れてやって療養されられたらな…とか。
思い出がたくさんありすぎたせいで、思い出に溺れているようです。
まぁ、母との思い出なんて、皆さんタクさん沢山持っていると思います。
母親から生まれてきたんだから、母親との思い出は持っていると思います。
まぁ、中には虐待されたりと事情もある家庭もあると思います。
私の家族は裕福ではない普通の一般的な家庭でしたが、沢山愛情や思い出を受け取ってしまいました。
なんか、文章がバラバラですね。
私のいつもの癖です。
まとまりがない。
まぁ、それでもブログ続けてるんですが。
約10年間ブログを止めずに毎日更新してきましたが
流石にこの分岐点には抗えません。
まぁ、ケジメみたいなものです。
色々とやることが多いので。
母親の死ってだけでも悲しいのに、その後の葬儀などの費用も悲しいものですね。
というか、ほんと結構掛かるんですね…
直ぐに手配はしたんですが、お盆期間中なので通夜と葬儀は少し先になりました。
それまで病院から持ち帰った所持品とか後始末とか片付けてましたが…
いや、それだけでも泣いてるわ。
どんだけメンタル弱いんだ私。
コレもまた試練なのか…
でも、残念ですがこの試練には勝てません。
小学校の時、なにか喧嘩か何かで大声で泣いていたときに先生に言われた言葉を思い出します。
「男の子が泣いて良いのは、親が死んだときと飯が食えない時だけだ」
だったかな? そんな言葉。
親が死んだんだから泣いてもいいよね。
でも、泣くと息苦しくなります。
というわけで、しばしブログを休止したいと思います。
まぁ、こんなブログでも見てくださっている方がいらっしゃるので挨拶はしておきます。
実は先程溜まっていた感想記事を一気にアップしました。
一日1回更新する方針ですからね。一気に見ると貯まるんですよ…
ただ、トラックバック巡回は今回しません。ごめんなさい。
復帰はいつになるかな?
今はこの泣き虫なおっさんを生暖かく見守っていただけると幸いです。
以上。
私にとって、8月10日は人生の分岐点となりました。
このブログでは母の日を除いてはあまり触れてませんでしたが、私の母について語りたいと思います。
私の母は、10年以上前に心臓の病気を患い、療養をしながら日々の生活を送っていました。
毎回毎回入院と退院を繰り返しながら、10年以上持ったのですが、3年前ほどから心臓以外の臓器も悪化し、入院と退院の繰り返しを日々送って生活してきました。
まだ動けるときは私に色々な生活のノウハウを教えてくれたりして、日々を送っていました。
私も積極的に母とご希望の海へ買い物へ行ったりもしました。
大洗にちょくちょくでかけていたのは母の希望でありました。
あまり歩いたりすることはできませんでしたが、魚を見ては買い物を手伝ったり、一緒に食事をしたりと、傍から見たら、多分マザコンと言われると思うほど、私は母と日々色々な思い出を作りました。
もともと私自身、ガキの頃から母親にベッタリってほどではなかったのですが、買い物に一緒にでかけたり、母親とは沢山の場所にでかけたりと沢山の思い出を作ってきました。
思い出がありすぎて、逆に忘れてしまっているかもしれません。
忘れてしまうほどの沢山の思い出と大量の愛情を受け取り、姉や父上に見守られながら…
本日令和2年8月10日6時10分に帰らぬ人となりました。
…
正直大声で泣きたかったです。
いや、泣いていました。
鏡見てみろ、目が真っ赤だぞお前。
子供のように大声で泣き叫びたかったです。
子供だったらそうしていたでしょう。
このもやもやした気持ちがとても息苦しいです。
誰もがとは言いませんが、多分ほとんどの人が経験するだろう分岐点なのに、今にも息苦しくて死にそうな気分です。
なぜ私はこんなにも悲しいのか?
そりゃ、「親の死だからです」って言えばそれまでなんですが…
10年前の危険な状態の入院も、まさしくこんな気分でした。
このまま死んでしまうかもしれないと。
その時は無事に手術は成功し、日常生活に多少支障はあるけど復帰しました。
そして私はできるだけそれを支えてきました。
もちろん、男で何もできない無能だったので、手伝うのも大変で、母親を困らせたことは無数にありました。
それでも頑張って病院へ通ったり、日常生活では積極的に手伝ったりと沢山母親と接する機会が多くなりました。
いや、多すぎたのですかね。
そのせいですかね。
こんなにも苦しいのは。
こんなにも悲しいのは。
でも、本人は沢山の思い出を持っていきました。
だからきっと満足しているでしょうか?
ただ、このコロナ禍のせいで個人的には悔いも残っています。
最後に好きな海につれていけたら良かったな…
入りたがっていた温泉に入れてやって療養されられたらな…とか。
思い出がたくさんありすぎたせいで、思い出に溺れているようです。
まぁ、母との思い出なんて、皆さんタクさん沢山持っていると思います。
母親から生まれてきたんだから、母親との思い出は持っていると思います。
まぁ、中には虐待されたりと事情もある家庭もあると思います。
私の家族は裕福ではない普通の一般的な家庭でしたが、沢山愛情や思い出を受け取ってしまいました。
なんか、文章がバラバラですね。
私のいつもの癖です。
まとまりがない。
まぁ、それでもブログ続けてるんですが。
約10年間ブログを止めずに毎日更新してきましたが
流石にこの分岐点には抗えません。
まぁ、ケジメみたいなものです。
色々とやることが多いので。
母親の死ってだけでも悲しいのに、その後の葬儀などの費用も悲しいものですね。
というか、ほんと結構掛かるんですね…
直ぐに手配はしたんですが、お盆期間中なので通夜と葬儀は少し先になりました。
それまで病院から持ち帰った所持品とか後始末とか片付けてましたが…
いや、それだけでも泣いてるわ。
どんだけメンタル弱いんだ私。
コレもまた試練なのか…
でも、残念ですがこの試練には勝てません。
小学校の時、なにか喧嘩か何かで大声で泣いていたときに先生に言われた言葉を思い出します。
「男の子が泣いて良いのは、親が死んだときと飯が食えない時だけだ」
だったかな? そんな言葉。
親が死んだんだから泣いてもいいよね。
でも、泣くと息苦しくなります。
というわけで、しばしブログを休止したいと思います。
まぁ、こんなブログでも見てくださっている方がいらっしゃるので挨拶はしておきます。
実は先程溜まっていた感想記事を一気にアップしました。
一日1回更新する方針ですからね。一気に見ると貯まるんですよ…
ただ、トラックバック巡回は今回しません。ごめんなさい。
復帰はいつになるかな?
今はこの泣き虫なおっさんを生暖かく見守っていただけると幸いです。
以上。
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